2012年12月13日木曜日

戦後日本を否定する安倍自民総裁が目指す「新しい国」の妄信

自民、民主両党のトップがそれぞれ、10日発売の月刊誌「文藝春秋」が登場している。野田佳彦首相は「決断こそ、我が使命」と題するインタビュー記事だが、間もなく「終わる人」の事はどうでもよろしい。注目して頂きたいのは、圧勝が伝えられる自民党の安倍晋三総裁が寄稿した「新しい国へ」と題する政権構想である。
 冒頭、安倍氏は「政治化として大きな挫折を経験した人間だからこそ、日本のためにすべてを捧げる覚悟があります」と首相再登板への意欲を語っている。挫折とは言うまでもなく07年9月の政権投げ出し事件のことだが、安倍氏は「あの時の経験が政治家としての血肉になっている」そうだ。
 それでいったい安倍氏は首相に返り咲いて何がしたいのか。真っ先に掲げる「デフレ脱却と景気対策」は、自民党が政権公約に掲げる「国土強靱化」の200兆円公共事業とエール大学の経済学者にお墨付きをもらったと安倍氏が胸を張る国債の日銀買い取り策だ。その是非については選挙期間中、各党論戦を交わしていることでもあり有権者の判断に委ねたい。少なくとも公共事業や震災復興については民主党政権よりまだマシだろう。ただし、それだけのことであればわざわざ安倍氏が首相に返り咲くことはない。政権構想の胆はやはり、安倍氏が目指す「新しい国」の有り様であり、その根底にある国家観である。
 逆上れば06年9月、安倍氏が自民党総裁選に出馬した際に発表した「美しい国、日本」と題する政権構想で「戦後レジュームからの脱却」を訴えたが、「新しい国」でも「最大のテーマであることは変わっていない」と言う。本欄で度々指摘してきた憲法改正による国防軍の創設はその象徴である。
 これにも賛否はあろうが、まあいい。それで「戦後レジュームから脱却」した後、安倍氏が目指す「新しい国」とはどんな「美しい国」なのか。
「日本という国は古来から、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら、秋になれば天皇家を中心に五穀豊穣を祈ってきた瑞穂の国」と安倍氏は言う。
 ここまでくれば信仰の領域だから人それぞれ。ただし、安倍氏が首相になれば憲法を改正し、これを国民に押し付けるつもりだから恐ろしい。
「戦後の歴史から、日本という国を日本国民に取り戻す戦い」
安倍氏は結びで今回の衆院選の意義をこう語っている。まずはご自分が正気を取り戻すことだ。

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