2014年3月8日土曜日

安倍首相には荷が重い集団的自衛権の行使容認

 国会は連日、集団的自衛権の憲法解釈をめぐり安倍晋三首相が一人、答弁に立つシーンが目立つ。周知のとおり、安倍政権の安保外交政策の骨格は同じ価値を共有する国々との連携強化と軍事的プレゼンスを前面に押し出した積極平和主義だ。集団的自衛権を容認する憲法解釈の変更はその脈絡の中に位置付けられる。
 ところが安倍晋三首相は4日の参院予算委員会で「他の国と同じように行使できるということとは明確に違う」と述べ、海外での自衛隊の武力行使を否定。想定しているのは「実際に戦闘に参加することではなく医薬品や弾丸を運ぶことができるかの議論だ」と述べている。 
それならば自衛隊は過去、イラクやソマリア、アフガニスタン等々で活動実績がある。わざわざ憲法解釈を変える必要はなかろう。
では、安倍首相がよく引き合いに出す米国本土に向けた北朝鮮のミサイル攻撃や日本周辺海域に展開する米軍が攻撃された場合はどうするのか。
安倍首相は「必要最小限度という制約が自衛権全体にかかっている」と述べ、集団的自衛権の範囲を越えるとの認識を示した。
だからこそ、いざと言うときに自衛隊が武力行使できるよう憲法解釈を変更しておきたいというのが安倍首相の考えだ。緊急不測の事態に備えるのが政府の務めであれば、当然そうなる。丁寧に議論を積み重ねていけば、濃淡あってもきっと多くの国民は理解を示してくれるはずだ。
ただ、残念ながらこれを安倍首相が言えば、イデオロギーが絡んでくるから話しがややこしい。戦後レジュームからの脱却を唱える安倍首相が靖国神社に参拝すれば、戦争犠牲者への鎮魂と平和への誓いにはならないし、教育改革で愛国心を育む道徳強化を打ち出せば戦前回帰の国家主義を連想させよう。しかも、安倍首相の周辺に群れるのは、いずれ劣らぬ薄っぺらな狂信的国粋主義者ばかりだから余計に危なっかしい集団的自衛権の議論である。

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